
不登校になる原因は様々です。
またその状況を伝えるために、お子さんが説明しなきゃいけないとしたら、学校に行きたくなくなった理由を、全て言葉にするのはストレスがかかります。
もし正直に伝えられたとしても、親御さんはお子さんが追い詰められた原因が何なのか早く知りたいと、気がきでなくなるかもしれません。
家族全員が落ち着かず、それでも何とか力になって、解決してあげたいと思うのは当然です。
お子さんは自分のことで手いっぱいです。
自分を客観視することなど、すぐにはできません。
これが一番難しいことかもしれませんが、まずはなるべくこれまでの生活どおり、対応してあげることが大切だろうと思います。
家族が動揺しないで、いつも通り過ごしてくれたら、お子さんにとって精神的に追い詰められた状態でも、なんとか日常の一部として保つことができると思います。
私は高校生だった時に、大学受験のプレッシャーに耐えられず朝起きられなくなり、夜はただひたすらゲームに没頭する、昼夜逆転した生活を3年ほど送っていました。
高校卒業後も相変わらず適当な生活を続けてしまいました。
一般的によく言われるのは、新学期が始まり新しい生活に少しずつ馴染んでいこうとする時期は、心が特に不安定になりがちなことです。
社会人でもいわゆる五月病と言われるものがあります。
学校は学生にとって、社会の縮図みたいなところです。
30~40人が教室の中で一年間を一緒に過ごすのに、誰もがうまくやっていけるなんて自信を持っているとしたら、その方がおかしいくらいです。
いじめを受けて学校に行けなくなった生徒さんの保護者様から、相談を受けることがあります。
午後から登校できたり、通っている学校の中に、ただ自分がしたいように勉強できるような、教室ではない別の部屋にお昼くらいまでいたり、ほとんど家に引きこもってしまったり、本当にそれこそ程度もバラバラで、これも個性の一つなのではと思えるくらいです。
それぞれの生徒さんに共通して言えるのは、ただ今の状況がとても辛いということです。
その状況を生徒さん自身が、現実として受け入れざるを得ないと認めるまでには、ある程度時間がかかります。
いじめを上手に解決してもらって、みんなと同じように教室に通えるようになりたいとは、最初から考えていません。
たしかにこれまで不登校になった経験がなかったとしたら、生徒さんはそうなる前のように通えるのが一番だと、思うかもしれません。
でもそれは本人がある程度回復した後で、考えられることだと思います。
ストレスを受けている中で、混乱しながら自分を見つめることは、それだけでかなりの苦痛です。
親御さんはもちろんお子さんが悩んでいるのを、そばで感じているので何とか解決してあげたいと思うでしょうが、もしかしたらその前向きに考える親御さんの気持ちさえ、お子さんの心を圧迫して窮屈にさせてしまうかもしれません。
不登校になったとしたら、それがお子さんにとって今できることの中で最高の選択だということを、ぜひ知っておいてほしいです。
学校に行きたくないというのと、嫌いな食べ物を食べたくないというのでは、さほど違いがないように思います。
嫌いな食べ物を無理やり口の中に入れようとする人はいません。
なので放っておいて、適度な距離を保つことも大切だと思います。
この距離感は、しかし維持するのがとても難しいです。
親御さんはアドバイスと思っていないのに、会話した何気ない言葉が、お子さんの感情を逆撫でしてしまうこともあります。
気持ちをあらわに怒り出したり、泣き出したりする場合もあるでしょう。
思春期とは、人生の中でどんな位置付けなのでしょう。私は専門家でもないので、それらしいことは何も語れません。
しかしこれまで色々な生徒さんと接した中で見てきたのは、周りと比較しながら自分のことを、なるべく冷静に見ようと努力する彼らの姿です。
それは自分のことを好きになったり、でも次の日にはとんでもなく自己嫌悪に陥ったり、常に葛藤しているような姿です。
私が中学時代を振り返ってみて思うのは、周りからどのように見られているのか不安になりながら、とりあえず勉強を頑張ったことです。
少しでも良く見られたいという願望が強かったと思います。
自分が良い人だと思われたいという感情は、誰しも持っているものです。
教室の誰もが程度の差こそあれ、似たような気持ちを抱えながら生活しているとして、例えば、よく見られたいという気持ちが目立って見えたならば、誰かがちょっとからかってみようと、悪ふざけすることがあっても不思議ではありません。
クラスの同級生は、みなほぼ同い年です。
男女の差や個人差ももちろんありますが、自分がどういった感じで見られているのだろうという関心は、それこそ果てしなく広がるのではないでしょうか。
それこそ思春期の特徴です。
誰もがわがままで利己的だと思うと同時に、誰かに優しくしてあげたい、誰かの役に立って利他的な存在になりたいと憧れるのは、大人も同じです。
もし気持ちの波が激しく、その揺れの大きさにお子さんが溺れそうになっているとしたら、何と
か自力でその波を上手に乗りこなせるように見守ってあげてください。
お子さんにとっては一番の成長になると思います。
もちろんこの成長は、生徒さんだけでなく親御さんにとっても言えることです。
困っているなら助けたいと思うのは親心です。
でもお子さんは、すぐに何とかしてほしいと、必ずしも望んでるわけではないかもしれません。
こんな言い方をしてしまうと、いじめた側の肩を持つのかと思われるかもしれませんが、最初から不登校にさせてしまおうと、計画して行動する生徒は少ない気がします。
からかったり、いじったりするきっかけは、相手への共感も含まれるように思うからです。
私の中学時代に髪の毛を抜いたりしていじめていた彼は、私以外にも似たことをしていました。
私は彼が同じクラスにいることがとても嫌で、できるならどこか別のクラスに行ってほしいとずっと思っていました。
半年後くらいに結果的に現実となり、正直なところほっとしました。
でも、それから20年以上経て再会したときに気づきました。
もしかしたら彼は私と大した違いなどなかったのかもしれないなと。
これはあくまで私の想像です。
彼は学校生活の中で孤独を感じていて、誰かに優しくしてあげたい素直な気持ちと、でもそんな姿を周りに見せたくなくて、わざと自分勝手に振る舞ってわがままな人間だと思われたい気持ちが、ない混ぜになって彼自身がコントロールできなくなっていたのだとしたら、彼を同情というか不憫にさえ少し思いました。
いじめが起きている現場で、事態を悪化させてしまうことの一つとしてよく言われるのは、周りでただ静観して見て見ないふりをしている周りの存在です。
おそらくこれまでずっと変わらず、いじめの問題が注目されながら、それでもなくならない最大の原因だろうと思います。
いじめは力の差を見せつけて、それを相手に誇示する行為です。周りで見ている誰かが、弱い者いじめをしている人に積極的に関わり、ましてや止めようとしたのだとしたら、それはとても勇気ある素晴らしい行動です。
でも実際は、あまり関わりたくないと遠巻きに見ているのが、ほとんどだと思います。
だからいじめは、なくならないのです。
もし、校舎の端を偶然通りかかったときに見てしまって、素通りする同級生がいても、特に不思議には思いません。
学校の中で起きたことだとして、直接先生たちが見ていないのだとしら、たとえ解決しなければいけない立場であったとしても、いじめに関わりたくない心理が働くことは、否定できないと思います。
もちろん先生という職業に使命を持って働いている方々も当然います。
正義感を持って日々生徒に接してくださる先生は、かけがえがない存在です。
私の中学時代の新任の先生もそうでした。
決していじめは許さないという姿勢が、身体から溢れていました。
私にとって心強かったです。
もしいじめにあったときは、できるだけ早く身近な相談できる人に、伝えてください。
どうか、決して一人で気持ちを抱え込まないでください。
親でも友達でもスクールカウンセラーでも、自分の気持ちを吐き出せる人を頼ってください。
できれば、普段から日常のことを話せる人がいいです。
お子さんにとって親御さんは、一番身近で相談に乗ってくれる存在です。
もしいじめの相談をされたら、誰しもすぐに行動を起こして解決してあげたくなります。
でもできればまずは、お子さんの話をじっくり聞いてあげてください。
お子さんが相談するまでに気持ちが積もったものを、できれば受け止めてあげてください。
話を聞くという行為は簡単なようで意外と難しいことです。
ついすぐにアドバイスなり解決方法を提示してあげたくなります。
お子さんの話を聞いてあげた上で、信頼関係が補強されたとしたら、その時こそ次の行動に移るべきです。
ぜひ一緒に考えてあげてください。
親御さんの心も相当な負担になると思います。
なので、もし親御さんがお子さんと同じように積もっていく心の負担を感じたとしたら、誰か信頼できる人に相談してください。
もしこれを読んで話してみたいと思われたならば、ぜひ私にご相談ください。
秘密は厳守いたします。
いじめが決して隠されるべきことなどではなく、もっと広く世間に知られるようになっていったとしたら、そのときこそいじめの問題がもっと身近になり、味方になる人や場所が増えて、相談しやすい環境が整っていくと思うのです。
またその状況を伝えるために、お子さんが説明しなきゃいけないとしたら、学校に行きたくなくなった理由を、全て言葉にするのはストレスがかかります。
もし正直に伝えられたとしても、親御さんはお子さんが追い詰められた原因が何なのか早く知りたいと、気がきでなくなるかもしれません。
家族全員が落ち着かず、それでも何とか力になって、解決してあげたいと思うのは当然です。
お子さんは自分のことで手いっぱいです。
自分を客観視することなど、すぐにはできません。
これが一番難しいことかもしれませんが、まずはなるべくこれまでの生活どおり、対応してあげることが大切だろうと思います。
家族が動揺しないで、いつも通り過ごしてくれたら、お子さんにとって精神的に追い詰められた状態でも、なんとか日常の一部として保つことができると思います。
私は高校生だった時に、大学受験のプレッシャーに耐えられず朝起きられなくなり、夜はただひたすらゲームに没頭する、昼夜逆転した生活を3年ほど送っていました。
高校卒業後も相変わらず適当な生活を続けてしまいました。
一般的によく言われるのは、新学期が始まり新しい生活に少しずつ馴染んでいこうとする時期は、心が特に不安定になりがちなことです。
社会人でもいわゆる五月病と言われるものがあります。
学校は学生にとって、社会の縮図みたいなところです。
30~40人が教室の中で一年間を一緒に過ごすのに、誰もがうまくやっていけるなんて自信を持っているとしたら、その方がおかしいくらいです。
いじめを受けて学校に行けなくなった生徒さんの保護者様から、相談を受けることがあります。
午後から登校できたり、通っている学校の中に、ただ自分がしたいように勉強できるような、教室ではない別の部屋にお昼くらいまでいたり、ほとんど家に引きこもってしまったり、本当にそれこそ程度もバラバラで、これも個性の一つなのではと思えるくらいです。
それぞれの生徒さんに共通して言えるのは、ただ今の状況がとても辛いということです。
その状況を生徒さん自身が、現実として受け入れざるを得ないと認めるまでには、ある程度時間がかかります。
いじめを上手に解決してもらって、みんなと同じように教室に通えるようになりたいとは、最初から考えていません。
たしかにこれまで不登校になった経験がなかったとしたら、生徒さんはそうなる前のように通えるのが一番だと、思うかもしれません。
でもそれは本人がある程度回復した後で、考えられることだと思います。
ストレスを受けている中で、混乱しながら自分を見つめることは、それだけでかなりの苦痛です。
親御さんはもちろんお子さんが悩んでいるのを、そばで感じているので何とか解決してあげたいと思うでしょうが、もしかしたらその前向きに考える親御さんの気持ちさえ、お子さんの心を圧迫して窮屈にさせてしまうかもしれません。
不登校になったとしたら、それがお子さんにとって今できることの中で最高の選択だということを、ぜひ知っておいてほしいです。
学校に行きたくないというのと、嫌いな食べ物を食べたくないというのでは、さほど違いがないように思います。
嫌いな食べ物を無理やり口の中に入れようとする人はいません。
なので放っておいて、適度な距離を保つことも大切だと思います。
この距離感は、しかし維持するのがとても難しいです。
親御さんはアドバイスと思っていないのに、会話した何気ない言葉が、お子さんの感情を逆撫でしてしまうこともあります。
気持ちをあらわに怒り出したり、泣き出したりする場合もあるでしょう。
思春期とは、人生の中でどんな位置付けなのでしょう。私は専門家でもないので、それらしいことは何も語れません。
しかしこれまで色々な生徒さんと接した中で見てきたのは、周りと比較しながら自分のことを、なるべく冷静に見ようと努力する彼らの姿です。
それは自分のことを好きになったり、でも次の日にはとんでもなく自己嫌悪に陥ったり、常に葛藤しているような姿です。
私が中学時代を振り返ってみて思うのは、周りからどのように見られているのか不安になりながら、とりあえず勉強を頑張ったことです。
少しでも良く見られたいという願望が強かったと思います。
自分が良い人だと思われたいという感情は、誰しも持っているものです。
教室の誰もが程度の差こそあれ、似たような気持ちを抱えながら生活しているとして、例えば、よく見られたいという気持ちが目立って見えたならば、誰かがちょっとからかってみようと、悪ふざけすることがあっても不思議ではありません。
クラスの同級生は、みなほぼ同い年です。
男女の差や個人差ももちろんありますが、自分がどういった感じで見られているのだろうという関心は、それこそ果てしなく広がるのではないでしょうか。
それこそ思春期の特徴です。
誰もがわがままで利己的だと思うと同時に、誰かに優しくしてあげたい、誰かの役に立って利他的な存在になりたいと憧れるのは、大人も同じです。
もし気持ちの波が激しく、その揺れの大きさにお子さんが溺れそうになっているとしたら、何と
か自力でその波を上手に乗りこなせるように見守ってあげてください。
お子さんにとっては一番の成長になると思います。
もちろんこの成長は、生徒さんだけでなく親御さんにとっても言えることです。
困っているなら助けたいと思うのは親心です。
でもお子さんは、すぐに何とかしてほしいと、必ずしも望んでるわけではないかもしれません。
こんな言い方をしてしまうと、いじめた側の肩を持つのかと思われるかもしれませんが、最初から不登校にさせてしまおうと、計画して行動する生徒は少ない気がします。
からかったり、いじったりするきっかけは、相手への共感も含まれるように思うからです。
私の中学時代に髪の毛を抜いたりしていじめていた彼は、私以外にも似たことをしていました。
私は彼が同じクラスにいることがとても嫌で、できるならどこか別のクラスに行ってほしいとずっと思っていました。
半年後くらいに結果的に現実となり、正直なところほっとしました。
でも、それから20年以上経て再会したときに気づきました。
もしかしたら彼は私と大した違いなどなかったのかもしれないなと。
これはあくまで私の想像です。
彼は学校生活の中で孤独を感じていて、誰かに優しくしてあげたい素直な気持ちと、でもそんな姿を周りに見せたくなくて、わざと自分勝手に振る舞ってわがままな人間だと思われたい気持ちが、ない混ぜになって彼自身がコントロールできなくなっていたのだとしたら、彼を同情というか不憫にさえ少し思いました。
いじめが起きている現場で、事態を悪化させてしまうことの一つとしてよく言われるのは、周りでただ静観して見て見ないふりをしている周りの存在です。
おそらくこれまでずっと変わらず、いじめの問題が注目されながら、それでもなくならない最大の原因だろうと思います。
いじめは力の差を見せつけて、それを相手に誇示する行為です。周りで見ている誰かが、弱い者いじめをしている人に積極的に関わり、ましてや止めようとしたのだとしたら、それはとても勇気ある素晴らしい行動です。
でも実際は、あまり関わりたくないと遠巻きに見ているのが、ほとんどだと思います。
だからいじめは、なくならないのです。
もし、校舎の端を偶然通りかかったときに見てしまって、素通りする同級生がいても、特に不思議には思いません。
学校の中で起きたことだとして、直接先生たちが見ていないのだとしら、たとえ解決しなければいけない立場であったとしても、いじめに関わりたくない心理が働くことは、否定できないと思います。
もちろん先生という職業に使命を持って働いている方々も当然います。
正義感を持って日々生徒に接してくださる先生は、かけがえがない存在です。
私の中学時代の新任の先生もそうでした。
決していじめは許さないという姿勢が、身体から溢れていました。
私にとって心強かったです。
もしいじめにあったときは、できるだけ早く身近な相談できる人に、伝えてください。
どうか、決して一人で気持ちを抱え込まないでください。
親でも友達でもスクールカウンセラーでも、自分の気持ちを吐き出せる人を頼ってください。
できれば、普段から日常のことを話せる人がいいです。
お子さんにとって親御さんは、一番身近で相談に乗ってくれる存在です。
もしいじめの相談をされたら、誰しもすぐに行動を起こして解決してあげたくなります。
でもできればまずは、お子さんの話をじっくり聞いてあげてください。
お子さんが相談するまでに気持ちが積もったものを、できれば受け止めてあげてください。
話を聞くという行為は簡単なようで意外と難しいことです。
ついすぐにアドバイスなり解決方法を提示してあげたくなります。
お子さんの話を聞いてあげた上で、信頼関係が補強されたとしたら、その時こそ次の行動に移るべきです。
ぜひ一緒に考えてあげてください。
親御さんの心も相当な負担になると思います。
なので、もし親御さんがお子さんと同じように積もっていく心の負担を感じたとしたら、誰か信頼できる人に相談してください。
もしこれを読んで話してみたいと思われたならば、ぜひ私にご相談ください。
秘密は厳守いたします。
いじめが決して隠されるべきことなどではなく、もっと広く世間に知られるようになっていったとしたら、そのときこそいじめの問題がもっと身近になり、味方になる人や場所が増えて、相談しやすい環境が整っていくと思うのです。















私は浪人して大学に行きました。
それから就職を何度か繰り返してきて、これまでの人生はずいぶん遠回りしているかもしれません。しかしその分「回り道」をしたことでどんな経験も無駄ではなかったとも思っています。
人生の中で受験は通過点の一つに過ぎませんが、大きな試練の一つでもあります。子供から大人へと成長しようと「脱皮」している彼らに手助けしてあげたいと考えています。
ぜひ一度ご連絡ください。
彼らの力になるべくご相談、ご質問等お待ちしています。
それから就職を何度か繰り返してきて、これまでの人生はずいぶん遠回りしているかもしれません。しかしその分「回り道」をしたことでどんな経験も無駄ではなかったとも思っています。
人生の中で受験は通過点の一つに過ぎませんが、大きな試練の一つでもあります。子供から大人へと成長しようと「脱皮」している彼らに手助けしてあげたいと考えています。
ぜひ一度ご連絡ください。
彼らの力になるべくご相談、ご質問等お待ちしています。

